2022.3.7

働くパパママ リレーコラム vol.1~意志をもって自分の人生を生きる~池尻浩子さん

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はじめまして、キッズデザインマガジンでコラムを書いている池尻浩子です。

20歳から社会にでて今年、社会人歴22年になります。
4月で小学5年生、小学2年生になる息子と旦那さん(現在主夫)と
4人で暮らしているワーキングママです。

この10年間、出産を通じて家族構成が変化したり、社会状況や子どもの成長に伴い、私自身の働き方にも変化がありました。その時その時、仕事にも育児にも一生懸命に向き合って、今の自分がいます。 ワーキングママならではの大変だったこと、乗り越えた時の嬉しさ、このコラムを通してお話できたら嬉しく思います。

意志をもって自分の人生を生きる

出産後の働き方への葛藤

長男を出産し、育休を1年とって仕事へ復帰した時のことです。
復職の仕事は、新規事業の集客(マーケティング・広告)の仕事。とはいえ、toCの営業会社だったこともあり基本業務は11時~20時。私は、9時~17時勤務の中で管理職。


稼働時間はさほど変わらないとはいえ、残業は基本できない、17時以降のMTGには参加できない、子どもの体調次第で急遽仕事をお休みする、「限られた時間の中で成果を出す」ということに焦りを感じていました。保育園は、平日の通常保育園、休日に仕事が入った時に対応できる休日保育園、子どもが急病の際にも対応できるよう病児保育園、3つ登録。

周りが出世していく。仲間が売上をつくってくれている。周りの人は会社に貢献している。私は仕事の行事やMTG、すべてには顔を出せない。売り上げをつくる一員にもなれていない。以前のように、フルマックスで時間を使って思いっきり働けない。そんな苛立ちを苦しく感じるようになりました。

そんな半面、子どもとの時間も大切にしたい。今考えると本当によくやっていたなあと自分で思いますが、毎日の絵本の読み聞かせの時間は1時間とり、子どもを寝かしつけたあと翌日の夕飯を作る生活。預け場所がない時は、出張先や会社にも子どもを連れていき、そこで夕食を食べさせる時もありました。

イヤイヤ期は、「朝ご飯はたべたくない」「保育園送迎のための自転車には乗りたくない」保育園についたら「保育園に入りたくない」は日時茶飯事。朝は長男がぐずる時間を想定し1時間余裕をみて早起きをしていました。

泣きながら朝ごはんのおにぎりを食べ、登園する長男

印象深いのは、長男が3歳の時。次男を妊娠中、赤ちゃん返りしていた頃。保育園にお迎えに行くと、「靴をはきたくない、抱っこでも帰りたくない」と泣き叫んでいました。保育園が閉まるぎりぎりのお迎え。焦る気持ちをおさえながら子供に「どうしたいのか?何が嫌なのか?」話を聞いていました。

すると、通りがかりの保育園の先生に「お母さん、えらいわ!私だったら、話も聞かずに無理やり連れて帰っちゃう時もある!自宅で怒鳴りすぎて、近所の人に警察呼ばれそうになった時もある(笑)お母さん、そうやって向き合っている姿勢がすごいな~」って声をかけてもらい、その場で号泣したことを覚えています。

そんなに頑張らなくてもいいのに、誰に頼まれたわけでもないのに、仕事も子育ても一生懸命で、でも正解も分からず、つい正解を求めてしまい、
「子どものイヤイヤにも、ゆったりした気持ちで応えられない苛立ち」
「どうやって愛情を伝えていいか分からない不安」
「私の進むべき方向はこれでいいのか?という恐れ」

でも、誰かが正解を教えてくれるわけでもなく、自分が決めていかなくてはいけないけれど、ゆっくり自分と向き合う時間もとれず、流されるまま過ぎていく日常。

分刻みで進んでいく日常

「子どもを出産したら、子どもが体調を崩すたびに仕事を休むし、早退するし、夜の仕事はふれないし、仕事はまかせられない。と思われたくない」と必死でした。会社で育休とった管理職は前例がなく、これがスタンダードになるというプレッシャーもありました。夫婦共に、実家が遠いので子どもを預けるところもなく、主人も仕事が忙しくほぼワンオペ。

そんな中で二人目を出産。次男は生後3か月からおんぶして出社していました。振り返ってみると、それだけ会社や仕事が好きだったので大変だったけど、充実して楽しかった。

思春期を迎える子育てへの転換期

子どもが小学校に入るまでは、それで走り続けられたんです。
ただ、小学校に入学するとがらりと環境が変わりました。

のびのびと個性を育ててもらっていた保育園から、集団行動やルールを守るという生活。子どもたちの中でも「比較」という自我を感じるようになり、「誰かの目」を少なからず気にする生活。愛情はもちろん、食事やお風呂や生活的なサポートをするだけでなく、本当の意味での親子間の心と向き合う時間が必要なんだなと感じさせられる出来事が続くこととなったのです。

長男が小学校に入学して1か月たった頃から夜泣きが始まりました。就寝した後、深夜1時頃に急に起きるように。
「やめて!やめて!」と泣き叫びながら、何かを振り払うかのように、何かを退治するかのように手をふりまわしながら、部屋を飛び出します。
声をかけても、本人は眠っている。その場で抱きしめてみても振りほどかれ、30分程すると、すっと眠りに落ちる。1週間に多い時には2〜3回、毎回深夜1時頃に、「あ、いつものがきた」という生活が1か月近く続きました。


住んでいる地域では集団登下校などなく、一人登校。入学して暫くは、小学校のすぐ近くまで私が付き添い、通学の練習をしていました。
ある日、校門前で、「あ、忘れ物した。」という長男。「先生に忘れましたと伝えたら大丈夫だよ」と声をかけるも「嫌だ、家に帰りたい。取りに帰る」と頑なに動きません。
よくよく聞くと、忘れ物が何度か続き担任の先生にきつく話をされていたようでした。学校でのちょっとした変化や、小さなストレスがいつの間にか溜まり夜泣きに繋がっていたようです。

生活習慣や世の中の常識的なことは、学校でも学べるかもしれない。ただ、親でしかフォローが出来ないことが、子どもの年齢を重ねるほどあるのかもしれない。
一般的に、会社などの時短制度が導入できるのは子どもが幼少期の時が多いですが、本当に親とのコミュニケーションが必要なのは、これからなのかもしれないと思った出来事でした。
とはいえ、生活もあり気付けば3年がすぎ、長男が4年生になり、また家庭と仕事とのバランスについて向き合う時がきたのです。

当時は、キャリアアップのため自宅からすぐそばにあったベンチャー企業を退職し、通勤1時間半かかる都内の大手企業に転職。 私の平日のライフスタイルは、出勤するため朝7時に自宅をでて、帰宅するのは19時。朝起きて、子どもたちの朝食を用意し、子供を起こし、子どもが朝食を食べ始めた時に私は出勤のため家を出ます。そして、学童から子どもたちが19時に帰宅する頃に私も帰宅していました。
帰宅後は、すぐ夕食を作り、学校の宿題をみて、お風呂にはいり、習い事の宿題をみて、22時には布団に入れる。子どもたちと何かゆっくり話をするというより、会話は業務確認。

私が口にする言葉は「○○やった?」「○○の準備した?」「そろそろお風呂に入りなさい」「ご飯を早く食べなさい」
何がきっかけということではなく、少しずつ子どもたちにはリラックスできるような家ではなくどこか窮屈な存在、甘えられない母親になっていたのだと思います。

ある日、いつものように兄弟喧嘩が勃発し、いつものように私の雷が落ちた瞬間、小4の長男が暴れ始めました。本棚の本を全部ひっぱりだす。リビングの椅子を投げる。大きな声で叫び、夜中22時すぎても平気で家を飛び出していく。


小1の次男を一人、家に残し私は夜中長男を探しまわる。
そんなことは1回や2回ではありませんでした。

何が原因なんだろう?と悩む間もなく、「母親を求めているんだな」と思いました。父親が自宅にいる時には、長男が感情をむき出しにすることはない。私が、次男に手をかける時間、注がれる愛情に対して「ずるい」と私に対して抗議をしてくることもありました。

ちょうどそんな時、主人が会社を退職しました。コロナ禍もありなかなか再就職も決まらない日々。専業主夫をしてくれているのはすごく助かりながらも「私がここで仕事をセーブするわけにはいかない」と葛藤もありました。

でも長男からの強いメッセージを受け取り、今この瞬間の時間は今しかない。「立ち止まろう」と考えました。会社を辞める覚悟で、家庭の事情を上司に相談し、「今のような働き方はできない」と伝えました。すると…本当にありがたいことに、在宅勤務や時短など状況を汲んで、可能な範囲の働き方ができるようになりました。

長男が精神状態が落ち着き始めたのは、実は私が働き方を変えてからではなく、私が「働き方を変えよう」と決意して、会社に意思表示をしてからでした。
結局は、物理的な子供と触れ合う時間ということよりも、私自身の心の余裕が親子のコミュニケーションを作っていたのだと体感しました。


長男が小学校に入学し、今思えば立ち止まるべき瞬間は何度かあったように思います。でも、その頃は私自身が仕事の方向性で迷い、家族の方向性で迷い、正直自分のことでいっぱいいっぱいだった時期でもありました。

そして、私も42歳。次のチャレンジを決意しました。
大手企業という安心感に何となく依存し、1時間以上かかる通勤を辞め、転職を決意。フルリモートの仕事に切り替えました。

自分がどのようなライフスタイルを送りたいのか、子どもたちとどのように向き合いたいのか、仕事・人生では何を優先して選択をしていきたいのかをもう一度見つめ直しました。

「意志をもって自分の人生を生きる」
これからも模索しながら進んでいけたらと思っています。

気になる!キッズデザイン賞

「まちのてらこや保育園 「まちのみんなが先生で、まち全体が保育園」」
子どもを通わせてみたいと思う保育園です。理由は仕事をしながらの子育てで気になるところは、関わる大人が限定されないか?というところでした。家庭、保育園、そして、地域の人というたくさんの応援してくれる、見守ってくれる、守ってくれる人が周りにいる安心感は幼少期の子供への財産になると感じました。


「第16回キッズデザイン賞」5月16日(月)12:00まで応募受付中!
キッズデザイン賞マーク
文章:池尻 浩子